洗練された経理 転職

ゆっくりかむと、なんとも言えない味がする。 どこか、優雅でみやびの感じがする。
二人は欲張って、十個ぐらいは食べてしまう。 サニーコートの家主のKさんは、駐車場の料金取りに、毎月やってくる。
「サニーコートの庭のビワは、見事ですね。 枝も折れんばかりに、なっていますね」
「そう、枝もたわわに、という感じだね。 房総は気候に合うのかな、よくなっているよ」
「もう熟しているけど、食べないの?」
「誰も食べないよ。 一つ二つつまむぐらいかな。 放ってあるよ」
「もったいないですね。 味が良いのに」「味は良いよ、確かに。でも、店で売っているのと違って、粒は小さいし、肉がうすいだろう。 食べるというより、皮をむいて、なめて捨てるという感じだよ。 食べた気がしないから、自然と食べなくなるのだよ」
「この辺は、どこの家も、食べないですね」
僕は気が向いた時は種も殻をむいて食べる。 ガン防止の妙薬である。
「昔は食べたよ、小さい頃はね。 他に食べ物もなかっただろう。 俺達兄弟も、競い合って食べたよ。 兄弟も多かったしね。 今はねえ。 何でもあるから、気が向かないのかな」
ビワの実は、小鳥にくれてやっても、いいではないか。
人間のかわりに小鳥が食べても、食べたことに変わりはない。 無駄は余裕であり、余裕は遊びなのだが、昨今の世の中は、遊びがなくなって、ギクシャクして困ったものである。

僕の事務所の応接室に、一枚の絵が掛けてある。 四号ぐらいの小さい油絵で、風景はパリである。
パリの街角のある店を描いたもので、パリではよく見かける光景である。 彫刻をほどこした四階建ては、古くて灰色で、街路は石ダタミ。
街角に、コンビニの店がある。 テントは、際立った赤色。
背の高い男が一人、店から出てくる。 僕は、この絵を見るたびに、先輩のKさんを思い出す。

この絵は、Kさんの形見である。 この油絵は、あってしまった。
僕とKさんの家は、二百メートルしか離れていない。 Kさんの家は、洋風の堂々たる邸宅で、僕の方はみすぼらしい平屋である。
この辺も正確に言えばKさんの家は良すぎて、僕の家は小さすぎるということになる。 二人は、偶然だが、○大の同窓生である。
Kさんは工学部、僕は十五年遅れの法学部である。 だが、先に住んでいたのは僕の方で、Kさんは二十年前に引っ越してきた。
風のたよりに、Kさんは○大卒であることを妻が聞いてきたので、僕の先輩だな、とわかっていたのである。 Kさんは、人に知られた実業家で、F市では機械工業会の会長をされていた。
自分が創業した会社は、順調に伸び、ユニークな製品は、人に敬愛された。 ロータリークラブでは、県のガバナーまでやられた方で、社会奉仕にも、多大な貢献をされた。
勿論、○大F市会の会長でもある。 ある著名な画家の作品であるが、今となっては、それ以上の価値ある思い出の絵とこれらの肩書きが示すとおり、大変な大物ではあるが、これだけのことなら、僕の関心を買うことはなかったろう。

問題は、その人柄と行動にあったのである。 僕は、ある先輩の勧めで、ロータリークラブに六年在籍したが、そのときKさんは、クラブの中心的存在、いわゆるボスであった。

クラブの会合は、昼食の一時間であるが、時には夜の会合もあった。 幸運にも、僕はKさんと話をする機会を得た。
幸運というより、今考えると、Kさんがわざわざ気を利かしてくれて、僕と接触できるようにしてくださったふしがある。 一時間の会合では、酒が入り、かわいいコンパニオンがズラリと揃って、急に華やいだ社交場と変わる。
僕は新入会員なので、おとなしく座り、最後を見計らって、酒をついで回る。 Kさんの所へ行くと、Kさんは悠然として、泰然自若とされているが、少しも尊大なところがない。
昭和五十九年頃の日本は、経済が順調に伸びていたが、アメリカが停滞したお陰で貿易黒字が増大していた。 それでも、強大なアメリカに対する恐怖心が強く、日本の利益だけ考えて、相手の苦境を考慮する余裕はなかった。
その頃、関税撤廃や自由貿易、企業リストラを言う人は、少なかった。
「O君、日米の経済戦争をどう思われますか?」
「はい、初めての難しい試練ですが、八○パーセント主張を通して、二○パーセントは調整すべきだと思います」
「私は新入会員で、右も左もわかりませんけど、アメリカはフェアに競争しようと言っているのですから、日本は強い分野を生かして、弱い分野を捨てるのは、やむを得ないと思います。産業は立地が移動しますから、日本も将来は発展途上国からやられます。 特に農業分野は日本の不得手ですから、一部輸入はやむを得ません。
限度枠をつくって、米も輸入すべきで、これからは低価格の時代に入ると思います」
少し若気の至りで言いすぎたかな、と思うと、「そうかね。 米の輸入は、得策かね」
Kさんは、目をつぶって、腕組みした。

その姿は、まるでお釈迦様のように見えた。 静かで悠々とした姿である。
目をつぶりながら、じっと僕を見ているように思えた。 まったく偶然ではあるが、日本はその年、米の不作があり、てんやわんやの末、不足分を海外から輸入する羽目になった。
苦しい選択ではあるが、国際貿易では自然なことで、歴史的異変である。 僕が指摘したように、米の輸入の事実が刻まれたのである。

ある時、Kさんは、僕の仕事について聞いたことがある。
「よそから出てきたOさんが、仕事を増やすのは、大変だろうねえ。学友や親戚知人がいるわけでないし、苦労するでしょう」
「事業に、苦労はつきものです。 楽な商売はありませんし、いつもきびしいのが事業だと思っています」
「Oさんは、仕事をどんどん増やしているね。私の家の周りを見ても、駅の周りを見ても、御社の管理がよく目につくよ」
「はい、管理を増やしています。 やはりアパートの管理と駐車場の管理は、不動産業の基盤ですから」
「ノウハウは、何ですか?」
「はい。Kさんの前で、おこがましいですが、しっかりしないと、仕事が増えても、うまくいきません」
「うん、基本ですね」
Kさんは、その事については、何も言わなかった。 ロータリークラブは、社会に奉仕する団体である。
そもそもは一九○五年に発足したらしいが、一九三○年代の不況期に、シカゴを荒らしたアルカポネに対抗して、企業家が自由取引を主張して集まり活動が活発化した団体である。
無法者カポネが恐ろしくて、会合は会員の家を持ち回りで開いた。 歯車の連帯、ロータリーである。
この抵抗と進取の気性は、W大の校風にある夜の会合で、Kさんの前に座ると、Kさんは珍しく冗談を言われた。
「Oさん、入会して三年だけど、もうすっかりクラブの水に慣れましたね」
「はい、先輩方のご指導がよろしいものですから」僕も、軽い冗談で応じた。
「あなたがいて、会も助かります。 今じゃ、あなたはクラブの宝ですからね。 そろそろもう一段昇ってはいかがかな」
Kさんは、大きい頭を振って、答えた。 クラブの会長と幹事は、一年毎に交代する。
この職につくのは、大変な名誉で、人望も識見も必要で、会員も成長しないとやらせても「いえ、いまのままで充分です。 仕事もいそがしいですし、個人企業ですから、余裕がありません。 皆さんのように、会社にスタッフが揃っているのとは、違いましてね。 うちの会社は、私がいないと難しい仕事ができないのですよ」

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